どうにも悲しい気持ちで心が晴れないので(it may be because I'm on my period, so I cannot handle it.)、街へ出てきて本を読んだり散歩したり写真撮ったりしてすごしているのだが、いやはや、元気にならない。なぜもこう悲しいのかしらね。
本屋で『新美南吉童話集』てのを買って、喫茶店で休憩する度に、レモネードやココアを飲みながら読んでるのだけど、なんというか慈しみって感じのお話がつまってて、さらにじんわりする。
『ちいさい太郎の悲しみ』なんて、胸をつねられるようにつらい。誇張して言えば、いまの私のような気持ち。もう学部生のころにも、留学のころにも、昔のダーリンと付き合ってたころにも、無邪気にご飯に出掛けていられたころにも戻れないことに気づいてしまった悲しみよ。太郎と違って、私はもう過ぎてしまった立場だし、特に昔へ戻りたいわけではないけど、それでも過ぎた時間や気持ちを取り戻すことはできないことは悲しい。
なんかさっきから悲しい悲しい言ってるけど(笑)心が晴れない。すっきりしない。おばあちゃんみたいな気持ち。
誰か適当な人とおしゃべりしたい、わるくちいいたい。わるくちだなんて、こころがくろい!誰かにとってはわるくちだけど、わたしにとってはわるくちじゃない、ほんとうに心に思ったことだから。わたしの信じるただしさと、世間さまが許容する常識には、いつも大きなずれがあるものだから、そのずれがいつもわるくちになってしまう。
なにか買いたいものがあるわけではない。誰かと想いを共有したい。少しエキサイティングなことをしたい。新しいことに気づきたい。
やっぱり、最近は感情をだましながら生活してたから、こんなに悲しいのは久しぶりで、うまく気持ちに向かい合えない。昔の方がやっぱり気持ちに素直だったみたい。
はたらくことは、お金を稼ぐことは、心を削って我慢すること。無意識に心を削ってはいけない。心を削るときは、その刃の動きと削りかすを注視しないといけない。
なーんていっても、どんぶり勘定で私は生きているから、そんな細やかな動きは気にできない。それでも、無意識じゃなくて、意識して心を削ろうと思う。