静かに考えてるのが、なんとなく辛いので、つい買い物をしてしまう今日この頃。
冬服が無いのは本当だから、買うのは別にいいと思うんだけど。
もやもや。
人間の心って、ふわふわ変わりやすいものなんだなあ、て思う。
特に、わたしなんて、自由すぎて、ふわふわゆらゆらしてる。
その時が楽しければいいや、っていう考え方がいけないのかな?
責任感無いんかな?自分の考え方の軸をもっと持った方がいいんかな?
それは人間関係に限ったことでは無いのです、自分の将来とか考えると不安になります。
今やるべきことをちゃんとやっていけば、将来で何かが待っていてくれる、とは到底思えない。
2年後わたしは就活してるのかしら?卒業したら、アメリカの大学院に行きたいな。
大人になったらどんな仕事してるんだろう?できれば新聞社で働きたいけど。
"あ、あなた英語できるんだったけ?ちょっとこれやってくれない?"程度で英語使いたいな。
英語は目的ではなくて、手段なのです。
いまギタマンがすごく楽しい。次期副指揮者だし、自分のビジョンをもって指揮したいなーて思う。
楽器が出す、一つひとつの"ポロンポロン"っていう音を大切にした音色が欲しい。
旋律のフレーズを意識した流れを意識したい。
低音と高音のバランスが欲しい。伴奏のバスを響かす低音と、旋律を弾いてる高音が目立つようにしたい。
わたしはそんないクラシックに詳しい訳じゃないけど、友達の方が全然詳しいし興味あるけど、
だからクラシックの曲選びは彼女に任せて、わたしは曲の組み立てに力を注ぐのもありかなあ、て思う。
ドリンはまだまだだけど、ピアノをずっと弾いてきたから、奏法もコンペで通用するようなのを身体に叩き込んだし、一応音楽的な解釈も出来るほうだと思う。
ピアノは一人オーケストラっていうじゃない?だから、今までは一人でやってきたことを、みんなで分かりやすく共有したいなと思う。
先生になるのも、すごくいいと思ったんだ。
しかし、でも現実をみると、公立小学校や中学校で、子どもたちに英語の基礎を教えるなんて、無理なお話ってことも分かってる。
教科指導じゃなくて、生活指導や親の対応に時間をとられるのって意味ない気がする。
わざわざいい大学入って、英語も勉強して、政治やら文化やら勉強して、それでそんな不良生徒の対応なんかしたくないなあ、と正直思う。子どもの世話するのは好きだけど、それを定年までやるのかと思うとちょっと気が滅入っちゃう。
高校も、高いレベルの高校ならずっと受験受験って言わなきゃならないのだろうし、低いレベルの高校なら、また生活指導の片手間な教科指導になっちゃうのだろうし、なんか切ない。
教育の理想って、本当は切ないものなんじゃないかしら。
公立教育ってそんなもんなのかな?
わたしはたまたまいい先生にあたって英語を勉強してきたから、いまでも英語が好きで、英語がきっかけでものすごく世界が広がった。
だから、他の子にも英語をきっかけにしてあげたい。
別に英語がきっかけじゃなくてもいいのよ、それが数学でも化学でも歴史でも、なにかきっかけをあげられたら素敵だと思うんだ。
でも、そのきっかけに気付いてくれる子が、きっかけを欲してくれる子が、一体何人いるんだろう?
でも、そんなきっかけを提供してあげられる先生は、一体何人いるんだろう?
そう思うと、なんか切なくなる。
経済学系や社会学系のワーキングプアの講義とか取ってるんだけど、やっぱり教育が一番だと思う。
親が低所得でも、子は受けたいと思う教育を受けられる環境を作らなきゃいけない。
でも、家庭が安定してない子は、相当の集中力がないと、落ち着いて勉強も出来ないと思う。
あーあ、なんか切ないな。
なんでだろ?最近、前の彼氏や前の前の彼氏の名前をケータイの発信履歴や送信履歴で見つけると、画面を閉じてしまいたくなる。
なんでこう、別れって上手く行かないんだろう?今更言ったってしょうがないけど。
付き合うのは簡単よね、ドラマみたいな展開なんて、やりようによってはどういう風にもなる。
でも、別れって、ドラマみたいに綺麗にならない。ここ数ヶ月で、そのことを思い知らされました。
わたしもさよなら言うのがへたくそだったのは認めよう。
言っちゃいけないセリフを言ってしまったし、もっと突き飛ばすべきだったんだろうな。
だから二人目の彼のときは、結構ひどいことを言った気がする。
あー、わたしってわがまま!
"さよならを言い出すときは、相手の男子のことも考えてやってな。男は振られたら、どんな振られ方でも辛いし、すごい引きずるんよ。"
って、友達に言われたのが、ズシンときた。本当だな、って思ったから。
"女子にフラれて「やりなおそう」て言ってくるなんて、器が小さいな。プライドとか無いのかしら"
とか思ってたんだけど、そういうものじゃないのかもしれない、となんとなく気付く。
今までそんな男性の気持ちが全く理解できなかったのだけれど、今でも完全に飲み込めはしないけど、共感しようとする姿勢の準備くらいはできた気がする。
それでもやっぱり、わたしは、自分のことを好きじゃない人のことを想っても、自分は幸せにはなれないと思う。
だから、叶わない片思いは辛いからしたくない。幸せになれない恋はしたくない。
それでも好きになっちゃう気持ちが痛いのは知ってるから、だから、やめたほうがいい。
これはわたしのポリシーだから、変わんない。
それでも優しくされると、ぬくもりに飢えてるわたしはすぐ揺らいじゃう。
だから、思わせぶりは止めてね、
本気だったら、鈍感で疑い深いわたしでも信じられるように、もっとグイっと押して欲しいのです。
あーあ、もやもや。
毎日楽しくて、これ以上文句は言っちゃダメなのは知ってるけど、
でも、将来の見通しが付かないのって、不安なのね。
将来のことを真剣に考えるのも辛い。苦しい。えらい。
誰か、わたしに静かに肩を貸してくれないかなあ。
なんて、センチメンタルな感傷に浸りたい、冬の入り口のいちにち。