友達のブログをぱらぱらと読んでいたら、いいことが書いてあったので、便乗して私も意見を述べてみたいと思います。
彼女の文章は
こちら。
ひとつめ。自殺について。
自殺は好きじゃありません。
とりあえず、一切の情を殺して発言すると、他人に迷惑がかかるから。
ごめんなさい、気を悪くする人がいたら申し訳ないです
首を吊ると、遺体の片付けが大変そうだし、
ガスとかは、周りの地域住民に迷惑かかるし、
睡眠薬とかは、その後に医薬品の販売の規制が厳しくなりそうだし、
電車に飛び込むと、ダイヤが乱れるし、遺族への振り替え輸送の請求が半端無いらしいし。
きっと、自殺してしまうくらい悩んでしまう人って、とても純粋で責任感の強い人なんだと思う。
理不尽な要求とか他人から押し付けられて、"すごくやりたくない"と思っても、"自分の仕事だから"って、抱え込んでしまうんじゃないかしら。
そういう優しい人は、いろいろなことに気を使っているんだと思う。
でも、理不尽なことを押し付けてくる人間に気を使うんじゃなくて、自分のことを愛してくれている人間に気を使うべきじゃないかしら。
例えば、いじめられている子が自殺したいと思ったとき。
"自分をいじめている子たちは、自分が消えたらうれしいだろうな"
→いやいや、いじめっ子は、いじめた相手の反応を楽しんでるだけだから、むしろいじめる対象がいなくなったらつまらなくなるよ。また新しいターゲットを探すだけさ。
"自殺して自分をいじめている奴らに罪の意識を教えてやる"
→これこそ、本当に間違った認識だと思う。そんな良心があるなら誰も人をいじめたりしないと思う。むしろ、中途半端な傍観者や自分の味方だった子たちに罪の意識を背負わせてしまう。
あと、"最近元気無くない??何か悩みがあるの??"て聞かれたときに、心配かけたくないがために
"ううん、何にも無いよ"て答えてしまうとき。
それ程深刻じゃないときは全然構わないんだけど、追い詰められている時とかにこういう風に答えてしまったら、絶対ダメだと思う。
最悪な結果で自殺してしまった時に、"あの時、もっと追求して悩みを聞いてあげればよかった"なんて、悩んでしまうに違いないから。
結局、どうやっても他人しかも自分を大切にしてくれている人間に迷惑はかかってしまうんだよね。
そしたら、自殺してしまった本人も望まない結果になってしまう。
だったら、どんなに自分が生きているのが辛くても、自分を愛してくれる人だけの為に生きるのも悪くないんじゃないかしら。
どうせ、自殺して大切な人も自分も最高に苦しい思いをするなら、
とりあえず、自殺はせずに自分だけ苦しんで、大切な人には最高に辛い気持ちを感じさせちゃだめだと思う。
もちろん、周りの人間や社会は悩んでる人を助けてあげる必要があるけどね!
ふたつめ。ディベートについて。
彼女は"考え方は人それぞれだからディベートは苦手"て言ってましたが、いやいや、人それぞれだからディベートは楽しいのさ!
言い方を変えると、ディベートは非常に楽なのです。
だって、ひとつの物事について賛成派か反対派か立場を決めたら、その後はその立場から意見をごりごり押していくだけで済むんだから!
普段物事を考えるときとか、"いろんな立場から物事を見ようとしてまって、結局結論が分からなくなって、気持ち悪くなってしまった"、なんて経験ありませんか??
私はしょっちゅうです。
上の自殺について書く時も言葉を選んでしまったので、言いたいことがぼけてしまいました。泣
でも、極論すれば、ディベートはひとつの見方から考えるだけでいい。
もしも"尊厳死の制度は整えるべきである"に賛成の立場なら、尊厳死の長所だけを述べて相手を説得させればいい。賛成派に都合の悪い事実は上手く隠したり、ごまかしたり、上手に反論したりしておけばいいんだし。
それに、ディベートは"言葉で戦うスポーツ"だから、感情的な部分は排除しておくこともできるし。
なんていうと、ディベートはとっても危険なものみたいだけど、全てはここから始まると思う。
ひとつの見方から十分に物事を判断できない人間に、多面的な判断なんてできっこない。
これは断言できる。
全てを素直にありのままに話すのも大切だけど、もっとレトリックを使った話し方とか相手をだますような話し方とか、そういうものも身につけておくべき。
だって、自分に他人をだますような話し方ができなかったら、他人からだまされてしまうもの。
塾の勧誘とか、テレビの過大広告とかヤラセとか、そういう捻じ曲がったものから正しいことを探り出すには、自分もものごとを捻じ曲げる技術がいると思う。
でも、それを実際に実世界で使っちゃだめだよ!
使っていいのは試合の間だけ。ディベートだからやっていいのです。
ディベートの間だって、何でもかんでもやっていい訳じゃなくて、論理的に攻めて行かないといけないし、とにかく、ルールは守らなくちゃいけない。だってスポーツだもん!笑
というわけで、私はディベートは好きです。
ストレス発散も狙えるし。普段の生活でこんなにひねくれてたら生活不適合者になってしまうよ。
ほらほら、ちょっとあなたもやってみたくなりません??笑
みっつめ。人間は滅亡すべきではないと思う。
"地球上から人類が滅びれば良いと思わない。ここまで荒らしといて放置は無責任"て、彼女も言ってましたが!
私も同感です。
開発をすすめて他の生物の住処を壊したりしてしまったんだし、とりあえず滅亡するとしても、壊したものを直してから、だよね。笑
でも、そんなことをするには相当な時間がかかると思うので、結局滅亡できないんだと思います。
あと、人間が動物とか自然にもたらした利点、ていうのはないかしら??
田園とかは、雑木林を切り開いたりして作ったんだと思うけど、水田とか果樹園とかそういうのを整備するうちに、小動物や昆虫にとって住みやすい環境になったんだと思う。
ほら、うっそうとした深い森林では木が育たない、て言うじゃない??
木を元気に育てるためには、間伐をしたりして、日光が届くようにしてやらないといけない、て聞いたことがあります。だから、程よく人間が関与してやるのも大切なのかも。
(話しずれるけど、だから、国産の間伐材を利用した割り箸とかは、どんどん使わないといけないんだって!それは森林保護につながるから。需要がないと供給も生まれないしね!
でも、東南アジアとか、南米とかの熱帯雨林の違法伐採の木から作ったのは使っちゃダメだよ!!使い捨てとかもったいないし)
最後に。人間は性善か性悪か。
うーん...中国古典思想の世界に突入ですねえ!
どうかな、よくわかりません。
でも、性悪説のほうが人間をリアルに指摘してると思う。
実世界に適応してて、実用的じゃない??
"人間の元は悪だけど、それをみんなで克服していこうよ!"的な前向き感がいいかも!笑
実際、性悪説のことを詳しく知ってる訳じゃないのでよく分かりません。
でも、孔子の目上の人は絶対に敬いなさい、ていう教えは好きじゃないです。
それはとても大切なことだけど、お年寄りにも、先輩にも、政治家にも、先生にも、親にも、間違ってることを言う人間はいくらでもある。
そういうのを、ただ"年少者だから"という理由で反論するのを封じ込めるのはよくない。
そういう子供が成長すると、悪いことするようになるのさ、きっと。
相当精神が強い人間じゃないと、正しく生きられない気がする。
という訳で、消去法で私は性悪説支持派にしてみます。笑
あー、しゃべった!
...これを英語にするのはパスです。
どうしてもやりたくなったら挑戦しちゃうかもだけど。
時間があるわけじゃないのになー