(今日のSSHの講演会のまとめ。とてもよかったです。)『自然科学と芸術文化』
静岡文化芸術大学 川勝平太先生
2008.11.21 SSH 講演会
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(1) 東洋(日本??)と西洋における「自然」のとらえ方のちがい
(2) 「自然」のとらえ方のちがいから生じる、日本の特殊性
ていう、2つの柱からお話が構成されていたと思います。
まず、(1)について話す時に、どうして西洋と日本では「自然」に対するとらえ方がちがうのか、
ということを説明。
孔子による儒教の教え、ブッダによる仏教の教え、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の教え は、世界で同時期におこっている。
その中でも、西側で生まれた一神教の教えは、ヨーロッパへ、
東側で生まれた儒教や仏教の教えは、日本へ伝わっていく。
旧約聖書の中で自然は、『神が人間のために創造されたもの』と位置づけられている。
よって、ヨーロッパでは、『自然は人間が征服できるもの、また、征服すべきもの』という考え方が生まれる。
仏教は、もともと苦しみから逃げるための宗教だし、儒教も人間の徳を説いたもの。
そういう仏教や儒教は日本に伝わり、神道などにも影響を受け、独自の進化を遂げていく。
歴史のなかで日本風の解釈や考え方も加わり、
さらに、日本は自然災害が多い土地であることも影響して、『自然はコントロールできない』という考え方ができる。
西洋と日本の「自然」のとらえ方のちがいは、それぞれの土地に根付く価値観と大きな関係がある。
その土地に根付く価値観とは、つまりは宗教(=文化)である。
自然科学を研究する際に、「自然」のとらえ方のちがい(=文化の差異)は影響をもつ。
よって、自然科学と芸術文化は互いに関係しているといえる。
芸術ていうのは、もともと宗教から生まれたもの。
例えば、教会からマリア様やキリストの像や絵画がつくられたり、
仏様やら曼荼羅やら、仏教的な装飾品がつくられたり。
だから宗教と文化と美術はひとつにまとめて考えられる、てことかな。
(2)について。
さて、(1)からも分かるように、日本にはもともと『みんなでなかよくしよう』的な考え方があります。
うまく説明できないけど、和歌とか、俳句とか、百人一首とか、ああいう感じで、草花や季節に愛情を持って接するというか、感情移入するというか。
(西洋にはこういう考え方はありません。自然は『征服されるもの』だから。)
日本のこの自然に対する考え方は重要です。
ところで、日本は昔からその時代で『日本に欲しい!!』と思う文化やら技術やらを、自分自身の中へ取り込んできました。
その結果、京都には唐の都長安のすべて(by遣唐使)、鎌倉には南宋のすべて(by日宋貿易かな??)、明治維新後には西洋のすべてを東京に、受け入れました。
そしてそれらを自分の中で消化して、そして大陸の文化から卒業したのです。
それは、鎌倉末期から室町時代、江戸時代でみられる、茶の湯や能など、現代にまで息づく日本の文化の確立であり、
現代のわたしたちが身につけている、西洋的な学問につながるのです。
(この西洋的な学問は、『自然は征服されるもの』という価値観から発展してきているもの。)
すると、日本の特殊性が見えてきます。
ベースには『自然を愛する(=征服するものじゃない)』考え方を持つ上に、
西洋的な学問(=自然は征服するもの)を身につけている。
さらに、大陸からの文化も吸収して自分たちのルーツの一部になっている。
しかも、北から南まで多様な気候帯を有している。
というところから判断すると、
よって、日本は『世界の縮図』と呼ぶにふさわしい。
ここで、ちょっといろんな付け足しをすると、
「むしろ、日本のほうが西洋より西洋らしかったりして」
(↑ディズニーランドの話ね)
「日本仏教における女性平等の考え方」
(↑「源氏物語」「あさきゆめみし」から発展して女流文学らへんの話)
みたいな小話がくっついてた??のかな。
このへんはあんまりよく覚えてないけど、それだけ日本の文化水準が高い、ていうのを説明してたんだと思う。きっと。
(1)(2)をまとめて、結論へもっていきます。
つまり先に結論を言ってしまえば、
未来の世界を担っていくのは『世界の縮図』に住む、君たち高校生である。
つまりは、自然科学か芸術文化、理系か文系か、どちらかに傾くことなくバランスを保って勉強するべきだ。
なぜなら、自然科学と芸術文化は互いに深い関係があり、また、両立すべき存在であるから。
ということでしょう。
21世紀最初の万博、2005年の愛知万博のスローガンは「自然の叡智」でした。
「叡智」とは、英知=優れた知識、という意味で、
西洋的に言えば、知識はインテリジェンス、人間の頭の中で考えられるものです。
決して人間に征服される「自然」の持つものじゃありません。
これは万博始まって以来の大変な出来事です。
こんな一見矛盾したスローガンを掲げられるのは、日本が、西洋の考え方も、自分たち古来からの考え方も、両方を身につけているからです。
西洋と日本とのちがいを認識することで思考の幅が広がるよ、ということだったんだと思います。
あと、仏壇のことも話してたけど、あれは、日本人がどうして無宗教だ、だなんていえるのかということだと思う。
祖父の家には立派な仏壇があるけど、でも、やっぱり自分の住んでいる家にご先祖様ができたなら、仏壇が欲しいと思う。お葬式だってちゃんとやって欲しいし、初詣にも行くし、お盆には踊ったりする。
そういう文化のなかでわたしたちは宗教的なことをやっている。
家の中にまで教会をもってきちゃって、ご先祖様に手を合わせてしまう。
(ぶっちゃけ、食事の前の「いただきます」だって、自分の糧となってくれる植物や動物に愛をもってるよね。西洋じゃ「いただきます」言わないし。)
こんなに深く日常生活の中に文化が、宗教が関係しているのに、無宗教だ、なんて言い切れない。
てことかな。
わたしもこの意見に同感です。
宗教は、(1)でも言ったけど、少なからずとも価値観を形成するからさ。
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うお−疲れた。がんばった。
記憶だけが頼りだし、つたないわたしの文章表現力に読解力だから、ところどころちがうと思うけど、結構、話の筋は押さえられたんじゃあないかしら。
ちがうところあったら、誰か教えてください
お願いしますっ
すごくいいおはなしだったので、もっとたくさんの人に聴いてもらいたいです
わたし、こういうお話だいすき。
めっちゃツボでした。
こういう「国際比較」みたいな学問いいとい思う。憧れるもん。
うーん、奥が深い。恐るべし、宗教。